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海外ドラマ ダウントン・アビーについて

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「ダウントン・アビー」その8 貴族の生活(才能応援プロジェクト ウェブライター部門)

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前出の「最後のロシア大公女マーリヤ―革命下のロマノフ王家 (中公文庫)」を引っ張り出して再読しています。マーリヤ大公女はグランサム伯爵家の長女メアリー嬢とだいたい同じ年頃のようです。

この自伝、以前読んだときは、波乱万丈の出来事に心は奪われたものの、簡単すぎる巻末の系図と自伝特有の客観性のなさで詳しくわからないことが多く、残念に思ったものでした。それに王族、貴族の生活の描写にも、それほど実感がわかなかったのですが、今、読み返して、インターネットで調べると、詳しい系図までわかるわかる。※

そして「ダウントン・アビー」のおかげで、貴族の生活の描写もよく頭に入ります。逆にこの本で、「ダウントン・アビー」を見ているだけではわからない、王族、貴族の女性の心理状態がわかるのも、興味深いです。

マーリヤ大公女は、年子の弟ドミートリ―大公を出産時にギリシア王女だった母上が急死、父パーヴェル大公に育てられましたが、数年後身分違いの結婚で国を追われたため、父の兄のセルゲイ大公夫妻に引き取られて育ちました。※

なぜか幼い時から「革命が起きたときに自分で身支度をできるようになっていないと」という思いがあったということですが、弟とは親密だし、他の親族である王族たちとの行き来はあったものの、普通のあたたかい家庭生活がなく、必要な時に真剣に彼女の立場で考えてくれる人に恵まれなかったようでした。

夜中にものすごい雷雨があって怖くてたまらなかったとき、隣に寝ている乳母を起こすのは「プライドが許さない」とあり、とても印象的でありました。わずか6歳でも使用人に対してそう考えるのですね。また、7歳から大人の午餐で招待客との同席を許されたものの、招待客に話題を提供できないと、後で伯父様から叱責と罰を受けたとありました。彼女が社交界に正式にデビューしたのは16歳になってからですが、すでに子供の頃からそういう躾をされていたのは興味深いです。

ロシアのロマノフ家は当時大富豪として知られていたので、グランサム伯爵家と全く一緒だとは思いませんが、マーリヤ大公女は乳母がイギリス人で、6歳までロシア語が一言も話せず、家庭内では英語で会話をしていたということです。それに自伝に登場する午後のお茶の時間や、親族達のイギリス王室との関係の深さをみても、生活習慣はイギリス式とみていいのではないでしょうか。

グランサム伯爵家では、招待客がいらしても家族だけでも、ディナーには全員正装で臨んでおられます。毎日が宮中晩さん会のようです。狩り、お出掛けと、その都度、メイドの手を借りて着替えていたのです。シヴィル嬢でしたか、お出掛けから帰ったときに、「メイドのアンナに私が帰ったと伝えて」、と部屋へ入って行かれました。あれも着替えを手伝うようにということなのでしょう。

当時の貴族のご家庭では、これが当たり前でございました。

前出の「最後の大公女マーリヤ」本によりますと、マーリヤ大公女の伯父セルゲイ大公妃エリザヴェータ、エラ伯母のお着替えの様子が書かれていました。この方は、ドイツのヘッセン公家の出身でヴィクトリア女王の孫にあたり、ニコライ2世皇后アリックスの姉でもあります。ヨーロッパ一の美女と言われた美貌の女性でした。

「伯母が、晩餐のために身支度を整えるのは、儀式にも似て大層時間がいった」

メイド、衣装係が総動員されて、午後の衣服を脱がせると、伯母様は化粧室に閉じこもり、バラの花びらを浮かべたお風呂を使われたようです。その間にペチコートとか靴下、靴、細々とした当時用いられた「多種多様な用品類」が分類されて身に付ける順に並べられ、メイドたちが待機しました。そして伯母様がコルセット姿で出て来られると、メイドたちがそれぞれの担当の衣服を捧げ持ち、次々と着せたのでした。

その間、伯母様はあらゆる角度から全身を眺められるように作られた三面鏡で自分の姿を映して、最後の点検を行ったということです。次に美容師により髪が整えられ、伯母様はご自分で爪を手入れされ、最後に宝石店のショーケースそっくりの宝石ダンスから、幼いマーリヤ大公女が指定された宝石類を運び、身に付けられたということです。

毎日こういう生活をしていればどうなんでしょうか、先日の「ダウントン・アビー 華麗なる舞台裏」では、女優さん達が着替えばかりで何もできないわと笑っていましたが、

ずいぶん前に見た「The Edwardian Country House」使用人たちの世界中心のリアリティー・ショーでの、奥方役の女性の感想がとても印象的でした。
この方、40代半ばで職業は医師という立派な現代女性ですが、毎日晩餐のために髪をセットしてもらい、ドレスを着せてもらう生活がお気に入ったようで、「こんなに甘やかされちゃって、もう前に戻りたくないわ」と、うっとりした顔でおっしゃっていました。

 マーリヤ大公女はその後、スウェーデン王子と結婚(後、離婚)し、第一次世界大戦では看護婦として従軍しましたが、最初に読んだときには感じなかったけれど、そういえばメイドがいなくて髪がセットできないとか、ひとりで外出したのは初めてとか、そういう記述がいくつもあるのに気が付きました。髪を短く切ったのを見て、父大公がぞっとした顔をしたというのもありましたね。

※マーリヤ大公女の母アレクサンドラ大公妃はギリシア王女、その父ギリシア王は、デンマーク王室出身で、ニコライ2世皇帝母のマリーヤ皇太后の兄、イギリスのジョージ5世母アレクサンドラ王妃の弟です。マーリヤ皇太后はマーリヤ大公女の代母で父方からは義理の伯母ですが、母方からは大伯母になります。

※参照 最後のロシア大公女マーリヤ―革命下のロマノフ王家 (中公文庫)


by applemint26 | 2015-02-20 19:03